思いを現実化するコト。゜ * 。・☆
2007/1/13に drecom blog、2013/02/28 にameba blog に書いた記事を転載しています。
(私が渡米し、日本で開業するまででのお話)
子供の頃に『将来の夢』がテーマで、皆さんも作文を書いた経験があるのではないでしょうか?
保母さん、ケーキ屋さん、宇宙飛行士、車屋さんetc...
振り返ると、セラピストになるなんて、全く想像もしていませんでした。
学生の頃はただ漠然と、将来OLはやりたくないな・・・ と思っていて、安定というよりは
何か変化のある(刺激)を求めて・・・ 手に職があった方がいいかもしれないかな。と考え、
当時興味があった インテリアコーディネーターか、美容師か迷った末、私は美容学校に進学したのです。
美容学校を出、国家試験をパスしたものの(学位) インターン1年生は雑用が主で、
お客様に直接指名を頂いてサービスを提供することはできず、インターン1年後にようやく国家試験の
実技テストを 受ける資格が取れ、それをパスして、ようやく美容師免許が頂けるのですが、
見えない未来に不安を抱いていました。
手に職と思って進んだ道だけど、本当にこの仕事が私のやりたいコトなのかな? と、不安と同時に
他にも色々試してみたいという気持ちが強くなってき、((( このままでは、何か違う。このままでいいの?))) と強く感じた私は、 ”自分発見の旅” 自由の国、アメリカに飛び立ちました。
いつか行ってみたいと思っていたところだったのです。
オープンチケットを片手に、予定は未定の”自分発見の旅”のはじまり、はじまりです・・・。
それは、1990年のある日のことでした。
【自分発見の旅の関連記事 】
>>> 魂の記憶 ・・・04/23/2008
>>> 魂に響かせるために必要なツール ・・・02/20/2009
>>> 素敵なメッセージ ・・・08/04/2009
カリフォルニアはロサンゼルス着いて、右も左も分からず、当然お迎えに来てくれる友人もいません。
レンタカーを借りてロサンゼルスのダウンタウンの高層ビルを目にした時、
((( あ~!いつかあそこでOLなんかやっちゃったりして?!))) などと、かっこ良くスーツを着た
オフィスワーカーを横目に、英語もろくに話せないのに妄想していたのでした。
何が起こるか分からない異国の地で
自分のやりたいコトを見つけ、 ”自由に楽しく生きる”という夢を抱いてまっしぐらだったのです。
初めの頃はカリフォルニアではなく、東側にある、サウスカロライナ州で暮らしていました。
カリフォルニアの街と違い、のんびりとした田舎町でした。
当時お付き合いしていた彼 (後に夫となる) の家族の家に、ルームシェアさせて頂いていました。
サウスカロライナ州では、学校に通いながらレストランでアルバイトをしていました。
>>> サウスカロライナでの生活 ・・・07/13/2009
・ ・ ・ 月日は流れ ・ ・ ・
私達は、サウスカロライナからカリフォルニア州まで車で横断の旅に出かけました。
まだ若かったせいか、のんびりとした田舎ではなく、刺激ある都会で自分をためしたく移住を計画していたのです。
当時、日本から持ってきた貯金と、アルバイトだけの収入だけでは生活が厳しく、安定した生活を求めて
やりたくないと思っていたOLを経験しました。企業に勤めると、サラリーの他、ベネフィット、
ボーナスも頂けたので、 生活を安定させるにはもってこいだと思ったからです。
生きて行く為には、手段は選べませんでした。
安定した収入があると、ローンもくめるようになり、車を買ったりetc・・・
少しずつ、生活が快適に変化していきました。
その頃英語ができたかって? できるとか、できないとか、言っている場合ではありませんでした。
所持金が底をついていたのですから・・・(涙)
人間、崖っぷちに立つとどうにか生き延びる為にがんばるんですよね☆
私は旅行会社に勤めていたのですが、そのお陰でアメリカを知るコトができました。
1人で他州へ出張に行くこともありました。
そんな時、心の中で、 (ビジネスウーマンってこんな感じなのか・・・) と、
自分のやっているコトに驚いていました。
まさか?!数年前に憧れていた、ロサンゼルス・ダウンタウンのスーツを着た
かっこいいオフィスワーカの 仲間入りをしているなんて・・・♥
結婚し、仕事も順調で、生活は安定し、とても幸せな時間でした。
すべてが順調に行っていたその時・・・
ロス暴動があり、アメリカに旅行に来る人が、ぐっと減ってきたのです。
旅行業界にいた私は、あ~もうこの業界も終わりか・・・ 不安がよぎりました。
その不安が的中し(信じたくなかった)当時、勤めていた会社がロス支社を閉鎖するコトになったのです。
- OLをして5年経った頃、閉鎖となってしまったのです -
((( ううっっ!どうしよう?! 職を失って・・・ )))
ご縁があり、運良く、同じビル内にある、某日系旅行会社に就職するコトができました。
経験を生かすコトがでたのです。
(再就職です。)
新しい会社も順調に行き、すべてが順調に再スタートした矢先、(入社して約1年経とうとしていた頃)
あの悲惨な911テロ事件が起こりました。
私は、最初に勤めていた会社が閉鎖した時、もうこの業界から離れた方がいいかも。と思っていました。
ですが、車の支払いなどその時の安定した生活を崩すのが怖くて、経験を活かして再び旅行会社に入社したのです。
どこかで、 ((( やっぱり手に職があった方がいいかもしれない ))) と 漠然と感じていながら・・・
テロの影響は旅行業界をはじめ、多くの人達に悪影響を及ぼしました。
エアライン、ホテルetc... 多くの方が命を落とし、職をうしない、家を失い・・・
私の勤めていた日経旅行会社でもリストラがはじまり・・・
私も職を失ってしまったのです。
私のまわりでは、たくさんの人が命を落とし、
まるでそこは、違う世界でした。
・ ・ ・ 昨日までは、幸せだったのに ・ ・ ・
この時に、私が以前から思っていたように、
((( やっぱり手に職をつけて違う道に進むべきだったんだ!))) と 再び強く感じました。
これからは手に職をつけて、人と触れ合いながら、
愛する夫とのんびり生活していきたいと心に誓ったのです☆
そンな時、
OL時代からお世話になっていた歯科医の方の勧めで、こちらの本と↑出会いました。
(お勧めの書籍でご紹介しているブライアン・ワイス博士著の前世療法 >>> おススメの書籍はこちらへ )
私はこの頃くらいから、心理学やスピリチュアルなコトに興味を持ち始めて独学で学び始めていました。
★ブライアン・ワイス博士の退行催眠を体験した時の記事 >>> 過去世の謎・その1 ・・・05/01/2011
そんな中、
((( 手に職をつけて世界中に行っても通用する、道具の少ないお仕事で、人から喜ばれるものってなんだろう? )))
と考えていた時に ((( そうだ!マッサージがある!))) と、閃き、
本格的にサンタモニカにある学校でマッサージの勉強が始まったのです。
母校・指圧・マッサージスクール・カリフォルニアは、2013年に閉校しました。
※写真左上は、私のクラスメイトです。(前列右から4番目が私です)
今はそれぞれ独立、開業し、アメリカで活躍しています。
この学校では、マッサージの技術をはじめ
東洋医学、解剖生理学etc。。。の他に、気・オーラ、チャクラについても教えていました。
午前中は学校で勉強し、午後は学校で事務仕事、夜は別のサロンでアルバイト。
当時は3件掛け持ちで、朝から晩まで勉学とアルバイトに明け暮れました。
卒業と同時に、私は独立開業の準備をしていました。
友人をマッサージしたり、アルバイトと掛け持ちで忙しい中、エステやオイルマッサージの資格を取り、
店名も完成し、名刺もできたし、これでおーけー!
* * *
そんな矢先、不慮の事故で、私は夫を失ったのです。
夫とは、どんな時も励ましあい、助け合い、良き夫であり、戦友でした。
すべてが、まるで、時が止まってしまったように感じました。
これから、2人で力を合わせて再出発できると信じていたのに・・・
何もかもが嘘であってほしいと思いました。
これから1人でどうすればいいのか・・・
眠れない日が続きました。
私達は、このままカリフォルニアで一生暮らして行こうと計画していたのですが、
この時私は、すべてが終わったかのように感じていました。
・ ・ ・ こんなに頑張っているのに、どうして ・ ・ ・
* * *
私が悲しんでいたら、きっと彼は、私が心配で安心して天国にいけないかもしれない・・・
彼の気持ちを感じたくて、今でいうスピリチュアルカウンセラーの江原さんのようなヒーラー、チャネラー等、
あらゆる世界の人達とコンタクトをとりました。
夫が亡くなる半年前に、2回ほど、ブライアン・ワイス博士の退行催眠により前世を見ていたた私は、
夫と私のかかわりについて理解していたので、来世で又会えるし、コンタクトのやり方が分かれば
ヒーラーにお願いしなくても、自分で彼とコンタクトが取れると信じて疑いませんでした。
私が見たり、感じているものが、どういう意味なのか確かめたくて・・・
* * *
雑誌・セラピスト・2007年2月号 (P.86 ~ P.87)
>>> 7種類のセッションが完成するまでのお話 (MENUができるまで)
私は、しばらくの間日本を離れていたので
第2の人生は、日本で過ごすコトに決め、今こうして日本でセラピストをしています。
Chemi Body Workの名前の由来は、夫Charley(チャーリー)と、私の本名Emiの名前から
”Chemi”(チェミ)と付けました。
Sara(サラ・セイラ)はニックネームです。
2003年7月から開業して3年が過ぎた頃
ご縁でBABジャパン編集社の方と出会い、”セラピスト”(2月号・1月6日2007年発売)
という雑誌に掲載して頂くことになりました。 >>> ★★★
私の第2の人生の、記念になる形にして頂くコトができてとても嬉しく思っています。
BABジャパン編集者の方には、心から感謝しています♥
2003年に帰国し、(2007年)4年目に再婚し、夫と共にこれからの人生をエンジョイして行こうと思っています。
関連記事
>>>『今』という大切な時間の使い方・その1 ・・・02/17/2009
>>>『今』という大切な時間の使い方・その2 ・・・02/18/2009
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